
つなぐ。
命をつなぎ、自然をつなぎ、
人をつなぐ。
牛と人、地域と自然、食卓と命。
すべてがめぐり、
また次へとつながっていく。
それが、森永牧場の在り方です。
先代からの思いをつなぎ、
等級や霜降りだけにこだわらず、
すべての人を虜にする
黒毛和牛のおいしさを追求し続け、
佐賀・森永牧場スタンダードを築いて、
次の世代に渡していく。
それが私の使命だと思っています。
39ヶ月の牛たちの生涯と
作り手の私たちとの日々の物語を、
食べていただく方たちにも伝えたい。
この思いをつないでいく先に見える
同じ景色がある。
そう信じています。
循環ではなく「潤環」をつくる人にやさしく、
牛にやさしく、域にやさしく、
能力を最大限に活かし、
みんなに潤いを渡していく。
そんな唯一無二のブランドを
佐賀から目指します。
森永牧場 代表 森永 公一


一貫経営と
潤環型農業の深い仕組み
〜命を活かし、地域を潤す〜
森永牧場では、
子牛を購入して肥育するだけでなく、
母牛が命を宿し、出産から出荷まで一貫
して育てる"自家繁殖"にも取り組んでいます。
現在は両方の形を行いながら、
今後は一貫経営の割合を少しずつ増やし、
命を迎えるところから送り出すところまで、
責任をもって見届けていきたいと考えています。

もみがらやのこくず、
排泄物などが混じった
牛舎の床を放線菌の力で
丁寧に発酵させ良質な堆肥を作り
地元の佐賀平野の米農家や
アスパラ農家、
玉ねぎ農家などの土壌改良に
活用されています。
また、牛の餌となる稲わらや
飼料も地元で栽培し、
自給自足を心がけ 次の世代を見据えた
持続可能な農業のあり方を
広げていきたいと考えています。
これまでの歩み
1979年
乳牛3頭からはじまった、
夫婦二人の挑戦
当時30歳だった創業者が、「このまま、雇われの人生でいいのか?」という疑問を胸に、という想いを胸に、会社勤めを辞め、たった乳牛3頭から牧場を立ち上げたのです。
酪農の知識も経験もない中、夫婦で手探りで始めました。電柱をもってきて、自分たちの手で牛舎を建てました。その電柱の柱も40年、牛がこすっていまではこんなに痩せ細っています。
「ほんと何にも知らんで始めたけんね。でも一生懸命やったね。」そんな言葉からは、ひたむきに取り組んできた姿がにじみ出ています。ゼロからの挑戦。それが、森永牧場の原点です。

1983年
試練の時代と黒毛和牛への転換
牧場としての歩みが軌道に乗りはじめた頃、大きな試練が訪れました。乳価の暴落により、酪農を続けることが難しい状況となったのです。
当時、乳牛5頭を売っても和牛2頭しか買えないほどの時代背景の中で、森永牧場は黒毛和牛の肥育へと大きく方向転換を決断しました。
和牛の世界もまた、決して簡単な道ではありませんでしたが、一頭一頭の牛と向き合い、手探りで学びながら道を切り開いていきました。
この頃はまだ牛を育てるだけでは食べていけなかったので、米作りもしながら家族を守り、牛を育てる日々を地道に積み重ねてきた歴史があります。

1989年
ブランド牛「佐賀牛」
誕生に込めた情熱
その後、同じ地域で牛を育てる仲間たちと手を取り合い、「佐賀牛」というブランドづくりが始まりました。
一頭の出荷ごとに少しずつ出資を重ねながら、真面目に、誠実に、ブランド価値を築きあげていったのです。
一頭一頭を毎日丁寧に観察することで、「この子は熱があるようだ!」「お腹を下しているのはこの子だな?」と 小さな変化にも我が子のように気づけるようになりました。
その積み重ねが、森永牧場の品質を支えています。
「牛はものを言わないからこそ、小さな変化を見逃さない。」そんな積み重ねが、今の信頼につながっています。

2016年(法人化)
牧場の未来へつなぐバトン
先代から受け継いだ大切なことを守りながら、さらに新たな取り組みにチャレンジし続けています。
牛の糞から良質な堆肥をつくり近隣農家さんの土壌改良に役立てたり、自家栽培の米粉を飼料にして肉質を改善したり、有明海のミネラルを飼料に混ぜたりと、A5ランクだけを目指すのではなく、ほんとにおいしいといっていただける肉質を目指している、それが「森永牧場ブランド」です。
このように、これまで築いてきたものを礎に、新たな一歩を重ねています。
牛、自然、地域、人すべてがつながり合い、命がめぐる。その営みを、次の世代へとつなげていくこと。
それが、森永牧場の変わらぬ使命です。

森永牧場とつながる
仲間たち

森永牧場の田んぼで育ったお米を
たくさんの方に食べてもらいたい!
米粉100%のバームクーヘンです。

森永牧場で育ったお肉・森永牧場の堆肥で育った
野菜お使ったお料理が食べれます!